『季刊 枯片吟』公式ブログ ~先天的失言者~

文学フリマに出展している『季刊 枯片吟』のブログになります。

羽虫の夢

    深夜の東京を歩いていた。先ほどまで、会社のそこそこ偉いメンバーと一緒に、と、言ってもいつの時代に自分が所属していた会社のメンバーなのかは、定かではないのだが、黒いスーツに頭から足の下まで統一され、闇に溶けるように足元が見えないままのメンバーと一緒に、歩いていた。
   途中まではタクシーに乗っていたのだけれども、もう少しで駅だからと、誰かが言い始めたのか、よくわからない坂道の途中で車を降ろされる羽目になってしまった。自分はこの風景を知っている。ビルとビルの隙間から観覧車の頂点が頭を覗かせており、そこがかつての会社の近くである事に気がつくまでにはそう長い時間は必要ではなかった。
   自分は、一人で行けますのでと、会社の偉いメンバーに断りを入れると、とくとくと歩き始める。朝焼けが入り混じり始め、空が少しづつ紫色へと変じて行く。
   そのうちに会社に着くと始業ベルがなり始め、風景が白塗りに転じる。
    少しアンティークな素材で出来た椅子と机の上に座っていて、まだ朝が早いために席には誰もいない。やがて、女が一人教室のドアを開け、入ってくる。会いたくない女だと思った。女は演劇をやっていると言う。女の肩越しに、今日の時間割を確認し始め、少しでも別のことに意識を向けようとする。
   何故あの女は、演劇など始めたのであろうか。あの、か細い喉では腹から声など出ないではないか。
    時間割は一時間目、二時間目までは読み取ることが出来るのだが、四時間目だけが、わからない。体育の場合はどうなるのだろうか。自分は、体操着を忘れていないか気がかりになる。二時間目と四時間目の間に、家に取りに帰れば良いのかも知れない。しかし、家まではどんなに早く見積もっても二十分はかかるだろう。空白の四時間目が体育で無いことを祈る。
   女が席に座って何やら準備をしているのをどうにかして別のことに集中してやり過ごす事が出来た。
   やがて、教師が入室して来て、授業が始まるのだと思った。すると教師は演劇のパンフレットを配り始め、その女の所属する劇団について解説をし始める。いつの間にか、劇団員が数人、教室の中に現れている。
   女に対して、体育が一番出来る友人が、質問をし始める。彼はすでに体操着に着替えており、やはり自分は早く体操着を取りに家に帰らねばならないと思った。女は声高に、ピントのズレた説明をして、聴衆は飽き飽きし始めている。
   この演劇を楽しむためには、ある三種のテキストを読んでおく必要があります、と、いうその女の話は、意図が不明瞭で、まるでそれらの外部情報が無ければ成り立たないかのような話ぶりで、みんな混乱し始めていた。
   自分はその話にも、その女にも退屈し始めていたので、体操着を取りに家に帰ることにした。家に帰ろうと思った瞬間、自分は羽虫になり、背中の羽を醜く震わせながら、低い姿勢を維持したまま、飛び去ってしまった。