会話文の練習
エレベーターホールで、男と女が二人、佇んでいる。あたりは深夜のプールのように静まり返っていて、何処かで雫の垂れる音が聞こえて来そうである。夜はまだ八時をまわっていなかった。
「ふとった?」
女が声をかける。
「いいえ、痩せました」
男が少しの丁寧に、女の方に視線を向ける。
エレベーターの登る、空虚な空間から、地上の冷たい風が吹き上げて来る。六月を過ぎたと言っても、まだ夜は少しの気温が低い。
「そう。なんだか太ったように見える」
「スーツが、去年のものだから、少し大きめなんです」
「そうなんだ」
「土曜日に、クリーニングにだしたんですが、間に合わない、と言われまして」
「それは災難ね」
「他にも、美容室の予約が取れなかったり、散々な週末でした」
男は会話を続けようと、笑顔を作ろうとするのだが、明らかに引きつっていて、継続の見込みは限りなく薄い。エレベーターはまだ来ない。
「でも、ウエストが二センチ、痩せたんです」
「そう」
男は女の顔色をうかがう。特になんの表情も読み取ることができない。そのうち、エレベーターが来た。