『季刊 枯片吟』公式ブログ ~先天的失言者~

文学フリマに出展している『季刊 枯片吟』のブログになります。

エスカレーター

    エスカレーターに乗ると、前後の会話がままならなくなる。特に下りで、前の人と話さなくてはならない時は、困ることが多い。

   そういう場合は、ほとんどがゆっくりとした時間が流れるようで、風がおでこから前髪を撫ぜる用に通り過ぎ、あたりの照明も薄暗かったりする場合がほとんどだ。

    会社や、仕事関係の人たちと乗るエスカレーターであればある程度会話にも困らないし、昨日食べたラーメンだとか、話し相手の子供の様子についてだとか、そのような無難な会話と途切れない程度の話題探しを続けていれば問題ないのだけれども、そうではない場合は多少困ってしまう。

    そうではない場合というのがよくわからないのだけれども、先日会った人が、少し風邪気味で、声の通りが悪く、聞き耳を立てねば会話が成立しない状態というのに、困惑してしまった。

    エスカレーターのある空間というのは、どこか稠密な空間のような感じがして、密閉された空間から開放的な場所に出るために通る、一時的な苦しみというか、そういった感じがしてしまう。登りならばまだ、広い空間に向けて出ることが多いので我慢が出来るのであるが、下りだと地に潜るような感じがして憂鬱な気分を感じないでもない。

    本当に困惑するのは、すれ違いぎわの事かもしれない。

    彼はエスカレーター越しに、古い友人とすれ違った。登りのエスカレーターに乗っていた時のことであった。一段目の最初から、気がついていた事ではあるのだけれども、友人は気がついていない様子だ。当然かもしれないと、彼は思った。旧友と会うのは随分と久しぶりの事だし、彼が同じオフィスに勤めているということは、伝えていなかったので、まさかすれ違う事があろうとは、想像の範疇外の事であろう。

    エスカレーターの登りは中腹まで来て、彼は一応声をかける準備をした。

「あっ」
「あっ」

   そうして彼らはすれ違った。
   その後、特に彼は旧友との連絡を取っていない。