『季刊 枯片吟』公式ブログ ~先天的失言者~

文学フリマに出展している『季刊 枯片吟』のブログになります。

電車が発車する

    いつも通勤に使っている駅の、電光掲示板が、長い間「調整中」であったため、すっかりその存在を忘れていたのだが、今朝少し遅れ気味に駅にたどり着くと、アナウンス自体が変わっており、少し優しさを感じさせる柔らかい男性の声になっていた。

   聞き慣れないものに対する違和感と、少し会社に遅れそうな罪悪感とが合わさる。

    私は、コートの前のボタンをきつく閉じ、いつになったら暖かくなるのかと、気温に対して思いを馳せる。
東京と言っても関東である事には変わらないのだから、二月の半ばではまだ当然のような寒さが感じられる。家のエアコンを切ったかどうかが気になり始める。恐らく切ってから家を出た筈である。

    今週のやるべき事を通勤中にまとめようと思うのだが、思考があちらこちらに飛んでしまい、うまくまとまらない。

    まとまらないのは、あの一言があるからだと、はっきりとわかる。毒づく事と、毒づかれる事では、圧倒的に毒づかれる事の方が少なく、そこに生来の被害妄想癖が合わさって、すぐに余計な事を思い出す負の迷路へと迷い込んでしまう。

    発言者も、被発言者も本来はその場のやり取りなど、正確には記憶をしていないし、記憶が残っていたところで恐らくそれは捏造されてしまっているものなのであろう。

    一度、自分が忘れていた事に対して、手紙が届いた事がある。差出人の名前の欄は空白で、だがしかし、私にはすぐに誰が送って来たのか、思い当たった。

    手紙の内容は、私の半生のなかで私が見過ごして来た、失言の数々が、箇条書きで、列挙されていた。
    全てが手書きで書かれていたので、時間をかけて書かれたものには間違いない。
    一部には、私と私に関係のあった女しか知り得ないような事柄にまで言及されているものもあった。

    電車が会社の最寄り駅につき、改札を抜けると、居酒屋への客引きのような声が聞こえる。
「振替輸送はこちらでございます」駅員二人が、まるで合唱のように声を揃えて案内している。二人の男、どちらの声か、聞き分けるのが難しい。

    恐らく、筆跡からしてあの手紙を書いたのは私に間違いない。
それに気がついた時、全てに得心がいった。

    電車の新しいアナウンスには、まだ慣れない。振替輸送にはお世話になる事がなく、目的地には着いた。