真理と真実
真理とは、ものの本に寄れば、いつどんな時も変わる事の無い、正しい物事の筋道、だという。筋道、道、というのだから、それには方向性があってしかるべきなのだろう。ということは、真理を求めるものすべては、どこかしらに向かって歩いている、もしくは移動を行っているのであって、確かに、電車の外を流れる風景かつ、それが見たことの無い景色であればあるほど、思考が進むのも頷けることであり、自身の移動が思考に影響を及ぼすわけである。
一方で、真実とは、嘘偽りの無いこと、であるといい、こちらはシンプルに事実の要素が入れ込まれていることと、嘘をつくかつかないかという、主体の倫理観に基づいて議論がなされるべき言葉であるとも言える。
非常に内面的な言葉であり、他者に向かっているのかいないのか、判断のつきにくい言葉である。
しかしどうして、こういう文章の場合、私は「だ、である」の文体を選択してしまうのか。ここに真理は存在するのだろうか。
浅はかなところで、今朝はおしまいにしたい。