『季刊 枯片吟』公式ブログ ~先天的失言者~

文学フリマに出展している『季刊 枯片吟』のブログになります。

小さな山頂にて

    どこかわからないが、田んぼの畦道とも言えなくもない、閑散とした農道を歩いている。季節は秋ぐらいだろうか。風が柔らかく、肌寒さはそこまで感じない。田んぼだと思っていたのは実は玉ねぎ畑だったようで、どうも場所は北海道のようなのだが、遠くに見える山の峰の鋭さはどうも、本州の、それも東北のような気もしている。

    そう思うのも、この時点ではきみはまだ夢の中にいるのだという自覚がなく、きみはある約束に向けて急いでいる。時間が経過して木目の荒くなった体育館に、偉い人から呼び出されているのだ。

   とはいえ、約束までには時間があった。きみはその、「偉い人」が誰であるかをはっきりと思い出すことが出来ない。浅黒い肌に、大きな声で話し、二の腕が太くいかついという輪郭だけが、ぼやけて思い出せる程度だろう。畑に散らばる無数の枯れ草が、風に乗って時折滑るように転がり、土特有の黒さを一層際立たせる。

    きみの目の前に、少し小高い、歩けば数分で登頂にたどり着けるような山が見える。山は整備されており、コンクリートの階段が、所々かけており、かつては平面だった箇所がほころび、凹凸のような壁面になっている。

    きみは、あの山の麓の林にベンチを見つけ、約束の時間までにそこで一服してからいこうと考える。

    するとすでに、そのベンチに一人の女が座っていることにきみは気がつく。女とはさほど知り合いでもないが、知っている人物のような気がする。紫色の素材の少しもこもことしたパーカーを来て、首からカメラを下げている。あのカメラで、女は過去の男たちを記録に収めて来たのだろうと、きみは考える。

   そう考えた瞬間にきみは、その女の背後に、人影が存在することに気がつく。正確には、存在をしていたというよりも、平面な身体全体が透けて見えるような残像と言う方が、正しいかもしれない。

   男の残像は表情一つ変えず、メガネをかけたまま、灰色に染められている。

    やがて女のもとにたどり着き、今何時頃かと、きみは尋ねる。

    ちょうど十年ね、と、女は答える。十年どこで何をしていたのか、約束は五時のはずだと、きみは考える。

    女は、首から下げていたカメラを置き、車に乗りましょう、と、きみを案内する。背後の残像はすでに消えている。

   車の助手席に乗り込むと、女はギアを切り替え、スピードを上げる。山に登るようだ。運転はうまいから、安心して、と、女は言う。きみは運転免許を持っていないので、おそらくオートマではなくマニュアルなのだろう、といった事を考えている。

   山頂にはすぐにたどり着く。
   山頂にはほぼ車二台分ほどの空間しかなかった。
   辿り着いた瞬間、女は車を急激にハンドルを切り返し、へりに向かってスピードを上げる。

   落ちるか、きみがそう確信した時、車は停止する。

    だから、運転うまいっていったでしょ、女はそういって、こちらをみて少し歯を出して笑う。

    この女は、横顔を見ている時の方が美人だな、と、きみは思う。そう思うきみは、すっかりその後の約束の事など、忘れているのだろう。