『季刊 枯片吟』公式ブログ ~先天的失言者~

文学フリマに出展している『季刊 枯片吟』のブログになります。

鳥取にて2

    店内は異様に明るく、この世にはここしかオアシスがないっといったような、そんな主張が込められたかのような光の加減であった。
   私は、席に座り、東京で食べるのとなんら変わらないであろうそれを、待つ。すぐに丼は用意される。
    隣には、誰もおらず店内のだだっ広さが光の演出に照らされて際立つ。
    どこに行くにも、金には余裕がなかった。昨日の自分とは違う自分が、目が冷めればいるようにも思えるのだが、預金の残高は一向に増えなかった。それだからといって、どこかにいけば増えるわけでもなかった。だから、深夜バスに乗って、昨日と今日の境目がわからなくなるくらいがちょうどよかったのかも知れない。
    着いてから、砂丘に行こうと思っていた。ただ、動き出すにはあまりにも早く、あまりにも簡単に、牛丼を平らげていた。

続く。

鳥取にて1

    米子の駅に着いたのは、深夜バスに揺られて翌朝のことだった。新宿を出てから、十八時間は過ぎているのか、時間の感覚は、寸断される眠りと、一時間おきにとまるサービスエリアでの冷たい夜気とで、すでにわからなくなっていた。
    私は、この何もない日々をどの様に過ごすかと考えてはみたものの、とくにあてもなく、金もなく、外国にでもと思わないでもないものの、そんな手配も出来るわけがなく、日本で一番今後行くことがなさそうなこの地に来ることを、選択したのだった。
    本当は、経済的な意味合いが強いかもしれず、何故なら、往復で二万円もかからず、それだけでどこかに出かけた気分になるならば、というところでもあった。
    これが、インドや、タイだとか、アユタヤ、ミャンマー、サハラのような格好のつく場所ならまだしも、今降り立ったのは、小雨気味の米子駅だった。しかも帰りのチケットも抑えている。もっとも、砂丘は存在している。
    さっそく、街並みを確認するために私は、周辺をふらふらと歩き始めた、が、それもすぐに終わりが見えた。
    牛丼屋に、大きな駐車場が設けられていて、多くの人が着座できるように広めの席が設けられている。
    続く。

休息

    休息に入るまでの期間が、あまりにもばたついていたので、しっかりと休むことができるのか多少の不安を抱えていた。
    休むにも体力のいるようになってきたわたしは、思い切って東京を離れることにした。わたしが東京を離れるのは、特段珍しいことでもない。
    珍しいことでもないのに、何故だか前日はそわそわするような心持ちがして、旅行カバンの中にどの本を入れるべきか、あれやこれやと本棚をかき回してみる。
    かき回している時が、実際に一番楽しい心持ちなのかも知れず、そう思った瞬間に、なんの本を持つべきかは決まっていた。
    何度も再読するような本は、それほど多くはなかった。カフカ中上健次金井美恵子ナボコフ、これはすごいことになったと、頼みすぎた中華料理の皿を眺めるようにそれらの本をカバンに詰め込む。わたしはこれらの本を全て読むつもりは毛頭なかった。
    毛頭なかった仕事の仕掛かり具合がふとよぎるも、気分は翌朝の機上の中にすでにあった。まだ残暑が続くので、涼しい地域がよかった。空港からは一日一便しかない地域だ。わたしは、乗り過ごしをしないことを祈り、眠りにつく。
    眠りの中で、何かしらの課題を、わたしは解決している。寝言に出しているかもしれないのだけれども、実際のところ、その寝言を聞く人間はだれも存在しなかった。
    だれも存在しない部屋が、一番キライと、別れ際に女はいった。実のところわたしも寂しい気がしないわけではなかった。本当に扉を開け、振り返っても誰もこたえるもののいない状況、それならば一人で締めたドアの鍵の音を聞いていたかった。無機質な鍵の閉まる音は、オートロックでは確認すらすることが出来ず、外の騒音が響く。

    目の中に光が差し込むと、想像以上に眩しく、しばらくぶりに地上に出た地底動物が文字通り"日の目を見る"という感覚はこういうものなのだろうかと、瞬きの回数を増やす。
    早く眠りに就こうとすればするほど、頭が冴え、長ったらしい本でも読めば、うとうととしてくるだろうと、その通り脳は少しづつ眠りに近づいているのだけれども、今度は反対に、蛍光灯の光を受けて体が起き出してしまい、ぼんやりとした意識の中で、足にかかる布団や、その温もりが、余計鋭敏に感じられもする。
    そうした、眠りと覚醒の狭間の中で思い出されるのは決まって、近々の仕事の事や、人間関係、とりわけ女のことなのだけれども、ひりひりとした焦燥感を与えるのはかえって、仕事での人間関係だったりもして、それがまた余計な意識への種火となって、やがて明けつつある空の気配を感じつつも、余計なことを考えずに寝ようと寝返りを打つ。
    はたと気がつけばすでに、もう朝になっていて、それが少し遅刻するくらいの時間帯なのだから、都合良く出来ていて、睡眠時間が少ないために疲れるといこともない。
   いっそのこと、もっと疲れてしまえばと。

きらめきが

    今朝方だったのか、昨日だったのか、何かこういうことを書けばいいのではないかと、風呂の中でか洗面所の中でかふと思いつけた気がしたのだけれども、今になると何もない。
    昨日のじゃがいもは、今朝になってポテトサラダに変わって出てきたのだけれども、それを食べる私自身は、そのまま。

じゃがいも

    朝からじゃがいもを食べた。いわゆるふかし芋というものだ。水っぽくて食べられたものではなく、ふた切れほど口にして、箸を置いた。
    塩気が少なく、まったくと言っていいほど味がなかったのだけれども、申し訳程度に添えられたバターの塩の味が、口の奥に染み込むような気がする。それは悪くなかった。